橋場 俊介 (はしば しゅんすけ) 

( 男子 )

橋場 俊介
スタイル | Right Hand Bat/ Offspin Bowling |
クラブ暦 | Te Anau CC/Fiordland College First XI(1997/08年~1999/00年) アドレクリケットクラブ(2002/03年~) |
役割・肩書 | Te Anau CC/Fiordland College First XI キャプテン(1999/00年) |
生年月日 | 1981年6月9日 |
出身地 | 東京 |
ハイエスト | 100 (2005年ワイバ戦) |
ベストボーリング | N/A |
留学でニュージーランドに住んでいたシュン少年(当時12歳)は、体育の授業で初めてクリケットを体験する。周りで当たり前のように行われているクリケット。そんな恵まれた
環境の中、家の庭でクリケットを楽しんでいた。
1996年のワールドカップをテレビでみて、クリケットへの興味が強くなりTe Anauという町のクリケットクラブ、および、高校のクリケットクラブへ入部する。
高校3年時にはキャプテンを務める。また、Te Anauのクラブチームでは、最初は11番バッツマンから始まったものの、2年間バウンサーの嵐に苦しめられながらも実力を発揮し、3年後にはオープニングになるまでに成長した。
このころにバッツマンとしての基礎ができあがる。
大学でもクリケットを続けるものの、メインは卓球。卓球の腕前はかなりのものであり、強化選手として州の卓球協会に所属していた。クリケットはというと・・・インドアで楽しむ程度であった。
そして、2001年に日本へ帰国する。
イギリスのクリケット情報をまとめたサイト「バビリオンエンド」の掲示板で大平氏と出会い、アドレクリケットクラブを紹介され、アドレへ入団する。
紹介した大平氏とは、シュンと入れ替わりでオーストラリアに放浪の旅に出たため、新宿で1度飲んだきり数年が過ぎることとなる。
アドレ入団後は、アドレ初のセンチュリーを達成するなど主軸バッツマンとして活躍するほか、 INSIDE ADOREのライター、J1C/JapanCupコミッティ担当、 練習番長と幅広い活動を実施している。
2007年に日本代表に初選出される。その後、EAP Cricket Trophyオークランド大会、EAP Cricket Trophyサモア大会へ日本代表として参加。2010年も日本代表としての活躍が期待される。
環境の中、家の庭でクリケットを楽しんでいた。
1996年のワールドカップをテレビでみて、クリケットへの興味が強くなりTe Anauという町のクリケットクラブ、および、高校のクリケットクラブへ入部する。
高校3年時にはキャプテンを務める。また、Te Anauのクラブチームでは、最初は11番バッツマンから始まったものの、2年間バウンサーの嵐に苦しめられながらも実力を発揮し、3年後にはオープニングになるまでに成長した。
このころにバッツマンとしての基礎ができあがる。
大学でもクリケットを続けるものの、メインは卓球。卓球の腕前はかなりのものであり、強化選手として州の卓球協会に所属していた。クリケットはというと・・・インドアで楽しむ程度であった。
そして、2001年に日本へ帰国する。
イギリスのクリケット情報をまとめたサイト「バビリオンエンド」の掲示板で大平氏と出会い、アドレクリケットクラブを紹介され、アドレへ入団する。
紹介した大平氏とは、シュンと入れ替わりでオーストラリアに放浪の旅に出たため、新宿で1度飲んだきり数年が過ぎることとなる。
アドレ入団後は、アドレ初のセンチュリーを達成するなど主軸バッツマンとして活躍するほか、 INSIDE ADOREのライター、J1C/JapanCupコミッティ担当、 練習番長と幅広い活動を実施している。
2007年に日本代表に初選出される。その後、EAP Cricket Trophyオークランド大会、EAP Cricket Trophyサモア大会へ日本代表として参加。2010年も日本代表としての活躍が期待される。